2007年03月26日

易の成立と展開

占筮の定義
『太玄経』 に基づくものを言う場合もごく稀にあるが、一般に「占筮」といえば 『易経』に基づき、筮竹 (始原には、蓍…和名 メドハギ という豆科の植物の茎を乾燥させたもの用いた) を用いて占をなすことを言う。 この易占においては、50本の筮竹を操作して卦や爻を選び定め、それによって吉凶その他を占う。 卜筮と同義。

易占の成立
古代中国、殷代には、亀甲を焼き、そこに現れる亀裂の形(卜兆)で、国家的な行事の吉凶を占う「亀卜」が、神事として盛んに行われていたことが、殷墟における多量の甲骨文の発見などにより知られている。 

西周以降の文の、「蓍亀」や「亀策」(策は筮竹)などの語に見られるように、その後、亀卜と筮占が併用された時代がしばらくあったらしい。 両者の比較については、『春秋左氏伝』僖公4年の記に、亀卜では不吉、占筮では吉と、結果が違ったことについて卜人が、「筮は短にして卜(亀卜)は長なり。卜に従うに如かず(占筮は短期の視点から示し、亀卜は長期の視点から示します。亀卜に従うほうがよいでしょう)」 と述べた、という記事が見られる。

 『春秋左氏伝』には亀卜や占筮に関するエピソードが多く存在するが、それらの記事では、(亀卜の)卜兆と、(占筮の)卦、 また、卜兆の形につけられた占いの言葉である繇(ちゅう)と、卦爻につけられた占いの言葉である卦辞・爻辞が、それぞれ対比的な関係を見せている。

また周代の理想的な官制を描いた『周礼』の春官宗伯には大卜という官吏が三兆・三易・三夢の法を司ったとされ、三兆(玉兆・瓦兆・原兆)すなわち亀卜に関しては「その経兆の体は皆な百有二十、その頌は皆な千有二百」とあり、後漢の鄭玄は卜兆が120体に分類され、1体ごとに10ずつの繇があったと解している。一方、三易(連山・帰蔵・周易)すなわち占筮に関しては「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」と述べ、卦に八卦があり、それを2つ組み合わせた六十四卦の卦辞がある『易』に対応した記述となっている。なお三易の「連山」「歸藏」を鄭玄はそれぞれ夏代・殷代の易と解している。


References from Wikipedia


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