2020年01月01日

風水の基礎知識

風水は、古代中国の思想で、都市、住居、建物、墓などの位置を決定するために用いられてきた。気の流れを物の位置で制御する思想。堪輿(かんよ)ともいう。風水では都市や住居(すなわち生者の居住空間)を陽宅(ようたく)、墓(すなわち死者の居住空間)を陰宅(いんたく)と呼んで区別している。


古代からの相宅や相墓といった占いの技術が陰陽五行説に基づきつつ総合されて成立した。 風水は大別すると、巒頭(らんとう)と理気(りき)に別れる。 巒頭は、その土地の気の勢いや質を地形等の形成を目で見える有形のもので判断する方法であり、形法、形勢派、巒体派などとも呼ばれる。一方、理気は陰陽五行や八卦、易理(易)、方位など目に見えないもので判断する方法であり、理法、理気派、屋宅派などとも呼ばれる。

ちなみに、現代科学における風水は地磁気と人との関係を追究している。

風水という名称は、晋の郭璞の著作という『葬書』(成立は唐代か)に「気乗風則散 界水則止 古人聚之使不散 行之使有止 故謂之風水」 気は風に乗れば則ち散り、水に界せられば則ち止る。古人はこれを聚めて散らせしめず、これを行かせて止るを有らしむ。故にこれを風水と謂う と定義されている。

形法風水では、大地における気の流れを重視し、龍脈からの気の流れが阻害されておらず、運ばれてきた気が溜まり場になっているような土地に都市や住宅を建造しなければならないとする。そうすることによってその地方や一家に優秀な人材が輩出され、冨にも恵まれると考えた。陰宅すなわち墳墓も同様であり、祖先がいる場所が子孫に影響を与えるとし、土地がよければ子孫は繁栄し、悪ければ没落すると考えられている。

一方、理気風水では、方位の吉凶を重視し、個々人の生年月日によって決定される方位の吉凶にもとづき住居や墓の方位、住居内の配置などを決める。


References from Wikipedia





posted by Fenshui at 00:00| 風水 財布:風水基礎知識 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

三易

三易とは、古代中国における卦を用いた占いの書である連山(れんざん)・帰蔵(旧字体:歸藏、きぞう)・周易(しゅうえき)の総称。

その典故は『周礼』春官宗伯にあり、大卜という官吏が三兆・三易・三夢の法を司り、三易は連山・帰蔵・周易で「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」とあり、卦に八卦があり、それを2つ組み合わせた六十四卦がある易経に対応した記述となっている。なお兆は亀甲獣骨などにできるひび割れを分類し、占うものである。

後漢の杜子春は『連山』を伏羲のもの、『帰蔵』を黄帝のものとしたが、鄭玄は夏・殷のものとした。これを受けて皇甫謐は夏は炎帝(神農)によって連山といい、殷は黄帝によって帰蔵というとしている。

また連山・帰蔵は三皇(ここでは伏羲・神農・黄帝)の書という『三墳』であるともされ、伏羲がはじめて八卦を画いて書契を造り、それまでの結縄の政に代えたと言われる。伝説では漢字を作ったのが黄帝の臣下である蒼頡とされるので、文字発明以前の書物ということになる。『古三墳書』は伏羲の書を『連山』、神農の書を『帰蔵』、黄帝の書を『乾坤』とする。

連山・帰蔵の内容は、『周礼』に「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」とあることから周易と八卦・六十四卦を共通するとされる。その違いは首卦を周易が乾とするのに対し、連山が艮(山)、帰蔵が坤(地)とすることである。なお『玉函山房輯佚書』に偽書の『連山』『帰蔵』が集められている。

なお、帰蔵については竹簡文書『歸藏』が王家台秦墓から発見されている。


八卦図
宋代になると伏羲の作ったとする八卦・六十四卦の次序や方位図が作られ、これを先天図という。連山・帰蔵に関しても先天図と同じ原理で次序と方位図が作られた。すなわち八卦について言えば、それぞれの首卦の一番上の爻(上爻)の陰陽を反転させ、そこでできる二卦の上から二番目の爻(中爻)の陰陽を反転させ、さらに以上の四卦の上から三番目の爻(下爻)の陰陽を反転させていくという順である。

こうすると先天図は「乾坤震巽坎離艮兌」、連山は「艮坤巽坎離震乾兌」、帰蔵は「坤艮坎巽震離兌乾」となる。そして首卦を午(南・上)に置き、説卦伝の「天地定位、山沢通気、雷風相薄、水火不相射」に合わせて乾と坤、艮と兌、震と巽、坎と離が相対する方位に並べていくことで方位図が導き出される。以下がその八卦方位図である。六十四卦の次序および方位も同様の原理で導き出される。

References from Wikipedia



posted by Fenshui at 20:34| 風水 財布:三易 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

易の注釈史

『易』にはこれまでさまざまな解釈が行われてきたが、大別すると象数易(しょうすうえき)と義理易(ぎりえき)に分けられる。象数易とは卦の象形や易の数理から天地自然の法則を読み解こうとする立場であり、義理易とは経文から聖人が人々に示そうとした義理(倫理哲学)を明らかにしようという立場である。

漢代には天象と人事が影響し、君主の行動が天に影響して災異が起こるとする天人相関説があり、これにもとづいて易の象数から未来に起こる災異を予測する神秘主義的な象数易が隆盛した。ここで『易』はもっぱら政治に用いられ、預言書的な性格をもった。特に孟喜・京房らは戦国時代以来の五行と呼ばれる循環思想を取り込み、十二消息卦など天文律暦と易の象数とを結合させた卦気説と呼ばれる理論体系を構築した。前漢末の劉歆はこのような象数に基づく律暦思想の影響下のもと漢朝の官暦太初暦を補正した三統暦を作っており、また劉歆から始まる古文学で『易』は五経のトップとされた。

一方、魏の王弼は卦象の解釈に拘泥する漢易のあり方に反対し、経文が語ろうとしている真意をくみ取ろうとする義理易を打ち立てた。彼の注釈では『易』をもっぱら人事を取り扱うものとし、老荘思想に基づきつつ、さまざまな人間関係のなかにおいて個人が取るべき処世の知恵を見いだそうとした。彼の『易注』は南朝において学官に立てられ、唐代には『五経正義』の一つとして『周易正義』が作られた。

周敦頤から二程子を経て後の朱子学に連なる儒教の形而上学的基礎は、『易経』に求められる。


References from Wikipedia


posted by Fenshui at 20:28| 風水 財布:易の成立と展開 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

占法

『易』の経文には占法に関する記述がなく、繋辞上伝に簡単に記述されているのみである。繋辞上伝をもとに唐の孔穎達『周易正義』や南宋の朱熹『周易本義』筮儀によって復元の試みがなされ、現在の占いはもっぱら朱熹に依っている。朱熹の本筮法を筮竹あるいは蓍の使用に限って説明すれば以下のようである。

繋辞上伝には「四営して易を成し、十有八変して卦を成す」とあり、これを四つの営みによって一変ができ、三変で1爻が得られ、それを6回繰り返した18変で1卦が得られるとした。さらに4営は伝文にある「分かちて二と為し以て両に象る」を第1営、「一を掛け以て三に象る」を第2営、「これを揲(かぞ)うるに四を以てし以て四時に象る」を第3営、「奇を扐に帰し以て閏に象る(「奇」は残余、「扐」は指の間と解釈される)」を第4営とした。

第1変
50本の筮竹の中から1本を取り、筮筒に戻す。この1本は使用せず、49本を用いる。この1本は太極に象る。
第1営 - 残りの筮竹を無心で左手と右手で2つに分ける。これは天地に象る。

第2営 - 右手の中から1本を抜き、左手の小指と薬指の間に挟む。この1本は人に象り、あわせて天地人の三才に象る。

第3営(1) - 左手分(天)の本数を右手で4本ずつ数える。これは四時に象る。

第4営(1) - その余り(割り切れる場合には4本)を薬指と中指の間に挟む。これは閏月に象る。

第3営(2) - 右手分(地)の本数を左手で4本ずつ数える。

第4営(2) - 残った余り(割り切れる場合は4本)を中指と人差し指の間に挟む。第2営からここまでの5操作のうちに閏月を象る残余を挟む操作が2度あることは五歳二閏(5年に約2回閏月があること)に象る。

左手の指の間に挟みこんだ残余の筮竹の総和を求める。必ず9本か5本になる。

第2変 - 49本から第1変の結果の9本か5本を抜いた44本または40本の筮竹で四営を行う。すると左手の指に挟みこまれた筮竹の総和は8本か4本になる。

第3変 - 第2変の結果の8本か4本を抜いた40本か、36本か、32本の筮竹で四営を行う。すると左手の指に挟みこまれた筮竹の総和は8本か4本になる。

画爻 - ここで第1変・第2変・第3変の残数により初爻が決まり、それを記録する作業が行われる。これは筆で板に4種類の記号を書き込むが、卦木(算木)で表すこともできる。残余の数は9本か5本、8本か4本であり、これを多いか少ないかによって区別すると、3変とも多い「三多」、2変が少なく1変が多い「二少一多」、2変が多く1変が少ない「二多一少」、3変とも少ない「三少」となる。これらの総和をそれぞれ最初の49本から引くと数えた筮竹の総数に当たるが、これは四時の4と陰陽の数を相乗じることによって得られるとされる。

すなわち老陽の9、少陰の8、少陽の7、老陰の6である。ここで導かれた陰陽の属性を表す記号(重・折・単・交)を初爻の位置に記録する。ここで少陽・老陽は陽爻であるが、少陽が不変爻であるのに対し、老陽は陰への変化の可能性をもった変爻である。また少陰・老陰は陰爻であるが、少陰が不変爻であるのに対し、老陰は陽への変化の可能性をもった変爻である。


References from Wikipedia


posted by Fenshui at 20:26| 風水 財布:易の成立と展開 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

経伝

筮竹を操作した結果、得られる記号である卦は6本の「爻」と呼ばれる横棒(─か--の2種類がある)によって構成されているが、これは3爻ずつのものが上下に重ねて作られているとされる。この3爻の組み合わせによってできる8つの基本図像は八卦と呼ばれる。

伝説によれば、まず伏羲が八卦を作り、さらにそれを重ねて六十四卦とした(一説に神農が重卦したとも)。次に周の文王が卦辞を作り、周公が爻辞を作った(一説に爻辞も文王の作とする)。そして、孔子が「伝」を書いて商瞿(しょうく)へと伝え、漢代の田何(でんか)に至ったものとされる。この『易』作成に関わる伏羲・文王(周公)・孔子を三聖という(文王と周公を分ける場合でも親子なので一人として数える)。このような伝説は儒家が『易』を聖人の作った経典としてゆく過程で形成された。伏羲画卦は「易伝」の繋辞下伝の記述に基づいており、包犠(伏羲)が天地自然の造型を観察して卦を作り、神明の徳に通じ、万物の姿を類型化したとあり、以後、包犠-神農-黄帝-堯-舜と続く聖人たちが卦にもとづき人間社会の文明制度を創造したとある。

『易経』は従来、占いの書であるが、易伝においては卦の象形が天地自然に由来するとされ、社会事象にまで適用された。八卦の象はさまざまな事物・事象を表すが、特に説卦伝において整理して示されており、乾=天、坤=地、震=雷、巽=風、坎=水、離=火、艮=山、兌=沢としたり、人間社会に類推して乾=母、坤=父、震=長男、巽=長女、坎=中男、離=中女、艮=少男、兌=少女とした。一方、爻については陰陽思想により─を陽、--を陰とし、万物の相反する性質について説明した。このように戦国時代以降、儒家は陰陽思想や黄老思想を取り入れつつ天地万物の生成変化を説明する易伝を作成することで『易』の経典としての位置を確立させた。

なお八卦の順序には繋辞上伝の生成論(太極-両儀-四象-八卦)による「乾・兌・離・震・巽・坎・艮・坤」と説卦伝の生成論による「乾・坤・震・巽・坎・離・艮・兌」の2通りがある。前者を伏義先天八卦、後者を文王後天八卦と呼び、前者によって八卦を配置した図を先天図、後者によるものを後天図という。しかし、実際は11世紀の北宋の邵雍の著作『皇極経世書』において初めて伏義先天八卦、文王後天八卦として図と結びつけられたのであり、先天諸図は邵雍の創作と推測されている。

1993年、郭店一号墓より竹簡に記された『易』が発見された。これは現存最古の秦代の『易』の写本である。


References from Wikipedia


posted by Fenshui at 20:24| 風水 財布:易の成立と展開 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

易の成立と展開

占筮の定義
『太玄経』 に基づくものを言う場合もごく稀にあるが、一般に「占筮」といえば 『易経』に基づき、筮竹 (始原には、蓍…和名 メドハギ という豆科の植物の茎を乾燥させたもの用いた) を用いて占をなすことを言う。 この易占においては、50本の筮竹を操作して卦や爻を選び定め、それによって吉凶その他を占う。 卜筮と同義。

易占の成立
古代中国、殷代には、亀甲を焼き、そこに現れる亀裂の形(卜兆)で、国家的な行事の吉凶を占う「亀卜」が、神事として盛んに行われていたことが、殷墟における多量の甲骨文の発見などにより知られている。 

西周以降の文の、「蓍亀」や「亀策」(策は筮竹)などの語に見られるように、その後、亀卜と筮占が併用された時代がしばらくあったらしい。 両者の比較については、『春秋左氏伝』僖公4年の記に、亀卜では不吉、占筮では吉と、結果が違ったことについて卜人が、「筮は短にして卜(亀卜)は長なり。卜に従うに如かず(占筮は短期の視点から示し、亀卜は長期の視点から示します。亀卜に従うほうがよいでしょう)」 と述べた、という記事が見られる。

 『春秋左氏伝』には亀卜や占筮に関するエピソードが多く存在するが、それらの記事では、(亀卜の)卜兆と、(占筮の)卦、 また、卜兆の形につけられた占いの言葉である繇(ちゅう)と、卦爻につけられた占いの言葉である卦辞・爻辞が、それぞれ対比的な関係を見せている。

また周代の理想的な官制を描いた『周礼』の春官宗伯には大卜という官吏が三兆・三易・三夢の法を司ったとされ、三兆(玉兆・瓦兆・原兆)すなわち亀卜に関しては「その経兆の体は皆な百有二十、その頌は皆な千有二百」とあり、後漢の鄭玄は卜兆が120体に分類され、1体ごとに10ずつの繇があったと解している。一方、三易(連山・帰蔵・周易)すなわち占筮に関しては「その経卦は皆な八、その別は皆な六十有四」と述べ、卦に八卦があり、それを2つ組み合わせた六十四卦の卦辞がある『易』に対応した記述となっている。なお三易の「連山」「歸藏」を鄭玄はそれぞれ夏代・殷代の易と解している。


References from Wikipedia


posted by Fenshui at 20:23| 風水 財布:易の成立と展開 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

易と風水

風水の伝説では周易以前には帰蔵易(歸藏易)(殷王朝の易)、連山易(夏の易)があったとされ、風水の道具、羅盤などに使用されている。また使用する道具の八卦鏡に先天図が使用される。

その違いは八卦を配列する方法の違いであり変化させたものが周易である。また卦に河図洛書と関わる数字を当てた場合、帰蔵図は魔方陣になる。

連山易は乾坤を除いた次のように六芒星(ヘキサグラム)に配列したものであるとの説がある。

『易』は、『周易』(しゅうえき、Zhōu Yì)または『易経』(えききょう)とも言う。『易経』は、儒教の基本テキスト四書五経の筆頭に挙げられる経典である。太古よりの占いの知恵を体系化し組織化し、深遠な宇宙観にまで昇華させている。三易のひとつ。

今日なお行われる易占法の原典であるが、占いは現代の軽さとは大いに趣きを異にして、古代にあっては、共同体の存亡に関わるきわめて重要かつ真剣な課題の解決法であり、占師は政治の舞台で命がけの責任をも背負わされることもあった。

『易経』の構成

現行『易経』は、本体部分とも言うべき「周易(しゅうえき)上経」「周易下経」を中心に、これを注釈・解説する10部の書物 すなわち「十翼(じゅうよく)」を合わせた、計12部の書物からなる。

「周易」には、八卦のくみあわせによってできる六十四卦の図象と、その意味について記述する卦辞と、それぞれの卦を構成している6本の爻位(こうい)の意味を説明する384の爻辞とが、整理され箇条書きに収められ、上経(30卦を収録)・下経(34卦を収録)の2巻に分かれる。

「十翼」とは、「彖伝(たんでん)上・下」「象伝(しょうでん)上・下」「繋辞伝(けいじでん)上・下」「文言伝」「説卦伝」「序卦伝」「雑卦伝」の計10部である。

なお、1973年、馬王堆漢墓で発見された帛書『周易』(前漢初期(紀元前200年頃))写本に「十翼」は無く、付属文書は六篇(二三子問・繋辞・易之義・要・繆和・昭力)で構成されていた。

「彖伝上・下」には、「周易上・下経」それぞれの卦辞の注釈が収められている。

「象伝上・下」には、各卦の象形の意味についての短い解説と、その爻辞の注釈が収められている。易占家の間では、前者部分を「大象」、後者部分を「爻伝」、というふうに呼称を区別していることがある。

「文言伝」では、六十四卦のうち最も重要かつ基本の位置づけにある二卦、乾(けん)と坤(こん)について、詳しい訓故的な解説がなされる。

「繋辞伝上・下」には、易の成り立ち、易の思想、占いの方式、など、『易』に関する包括的な説明が収められている。
「説卦伝」では、大成六十四卦のもととなる小成八卦の概念、森羅万象をこの八種の象に分類するその分類のされ方が、詳説される。
「序卦伝」には、現行の「周易上・下経」での六十四卦の並び方の理由が説明されている。

「雑卦伝」では、占いにあたって卦象を読み解く際の、ちょっとしたヒントが、各卦ごとに短い言葉で述べられる。着目ヒント集である。

References from Wikipedia



posted by Fenshui at 20:21| 風水 財布:易と風水 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。